《座礼の心》                 2018.7.6

 

この絵は、拙著『和の心』でもふれたアーノルドが、西洋文化の影響を受ける前の日本人に感動を抱いて描いた絵です。宿代を受け取る折の座礼のつつましさへのアーノルドの感動が伝わってきます。

 

私の中では、この絵の女性の姿と、私の祖母の姿が重なります。子供の頃、祖母のこのような姿を何度見たかわかりませんが、その度ごとに、子供心にも私は感動を覚えました。

 

家に訪ねて来る人がいると、玄関に入るよりも先にこのような姿で迎え入れ、座敷に上がってからも、さらに互いにこのような姿で頭を下げ合います。そこには、単に訪ねてきた人への感謝というような言葉では表しきれないようなものが感じられます。どうして人というものをここまで尊べるのか。今思うと、アーノルドがここまで感動したのも、わかる気がします。

 

そこには、誤解を恐れずに表現するとすれば、一種宗教心とでも言えるようなものが感じられます。このような心がどこから生じるのか、子供ながら、何度も不思議に思ったことを覚えています。このつつましい形の中に、日本人としての歴史的な心のすべてが凝縮されているのではないかという気がするのです。

 

『魏志倭人伝』には、倭の人々の中国にはない座礼と思われるしぐさの丁重さがすでに取り上げられています。その歴史と心を明らかにしたいという思いで書いた本が『和の心』であります。私の作る舞に座礼に近い型が多いのも、この型に流れるものを失わせたくないと思うからです。

 

一つの型にすべてが凝縮され、その型を通して心が伝えられる。これが日本文化の基本であると思います。
アーノルドがこのような絵を残してくれたことをありがたく思います。

 

「この国以外世界のどこに、気持良く過すためのこんな共同謀議、人生のつらいことどもを環境の許すかぎり、受け入れやすく品のよいものたらしめようとするこんなにも広汎な合意、洗練された振舞いを万人に定着させ受け入れさせるこんなにもみごとな訓令、言葉と行いの粗野な衝動のかくのごとき普遍的な抑制、毎日の生活のこんな絵のような美しさ、生活を飾るものとしての自然へのかくも生き生きとした愛、美しい工芸品へのこのような心からのよろこび、楽しいことを楽しむ上でのかくのごとき率直さ、子どもへのこんなやさしさ、両親と老人に対するこのような尊重、洗練された趣味と習慣のかくのごとき普及、異邦人に対するかくも丁寧な態度、自分も楽しみひとも楽しませようとする上でのこのような熱心ーこの国以外のどこにこのようなものが存在するというのか。」

 

「彼らのまっただなかでふた月暮してみて、私は日本に着いて二週間後に大胆にも述べたことを繰り返すほかない。すなわち、よき立ち振舞いを愛するものにとって、この日出る国ほど、やすらぎに満ち、命をよみがえらせてくれ、古風な優雅があふれ、和やかで美しい礼儀が守られている国は、どこにもほかにはありはしないのだということを。」 

                                                            (『逝きし世の面影』渡辺京二・平凡社ライブラリー)